靴ずれ・まめ

まめができない夢のマラソンシューズ
「アシックス マジックランナー」

今や長距離を走る際にマラソンシューズを履くのは常識ですが、今から約100年前、日本人選手が履いていたのはなんと足袋でした。あんな靴下みたいな足元で40キロ以上走るなんて、想像できませんよね。実際それはとても過酷だったようで、走行中に底が剥がれることも少なくなかったようです。1912年のストックホルムオリンピックでは、マラソンに出場していた金栗選手が石畳で足を痛め、実力を発揮できないまま途中棄権。この時、布製足袋に限界を感じた金栗選手は、ハリマヤという足袋メーカーと共に、マラソン用足袋の開発に乗り出します。その後、底がゴム製のマラソン足袋や、甲に紐をつけた金栗足袋などを開発。1953年には国内初のマラソンシューズ「カナグリシューズ」を発表し、日本陸上界に大きく貢献しましす。しかし、それでもなお解消されない問題がありました。
足のまめです。

まめができない靴への挑戦

当時のマラソン界では「まめは出来て当たり前」と考えられていました。そのため、画期的だったカナグリシューズでさえも、まめの問題を克服するには至らなかったのです。しかし、そんな状況を憂う一人の男性が現れます。大手スポーツメーカー、潟Aシックス創業者の鬼塚喜八郎です。彼の自伝の中に、選手とのこんな会話が載っています。
「鬼塚さん、このマメが苦にならなくなってはじめて一流のマラソンランナーになれるんですよ」
「じゃ、マメのできないクツをつくったらどうだろう?」
「そりゃ、素晴らしいだろうな。でも、それは夢でしょうね」
この一言に、鬼塚は奮起しました。「よし!オレがマメのできないクツをつくってやろう!」こうして、彼の挑戦は始まったのです。

熱と蒸気を逃がせ!

まず、鬼塚はマラソンでできるマメの原因が、走行時の衝撃や摩擦による熱であることに着目しました。そして自動車の水冷式をヒントに、靴底に水を入れたシューズを作りましたが、靴の重さと足がふやけて失敗。しかし、自動車がダメならとばかりに、今度はバイクの空冷式エンジンに目をつけます。靴の中に空気を循環させるエアーベントシステムを取り入れることを思いついたのです。そして鬼塚は、「靴に針の穴ほどの小さな穴を開け、熱と湿気を排出する」という大胆な発想で、見事靴のエアーベント式を実現。結果、皮膚が蒸れない、まめができにくい靴が誕生したのです。

まめができない魔法の靴「マジックランナー」と名づけられたこの靴は1959年に発売され、大きな話題となりました。そして1964年の東京オリンピックでは円谷幸吉選手が、1968年のメキシコオリンピックでは君原健二選手が着用し、銅メダルと銀メダルと獲得したのです。身体一つで勝負するイメージのマラソンですが、足元にはこんな匠のドラマがあったんですね。

*画像は当時のマジックランナー。(アシックスブランドサイト「アシックスの歴史」より)
空気の入れ替えをスムーズにするため、ソールの土踏まずが大きく反り返っているのが特徴。